今回は、僕自身がいままで生きてきて使っている考え方を文字に起こしてみました。
同じ人間なので、何かの役に立てたらうれしいです。
人生はつらいもの?
皆さんにはどうしてもキツイと感じたり、逃げ出したいと考えてしまうこと。または、いままで考えたことってありますか?一言で言えば「挫折」かな?
人間関係・恋愛・仕事・家庭環境・自身の容姿…など多岐に渡ると思います。

例えば、僕の仕事の挫折を例にしましょう
枠屋くんの過去の話
僕は、理系大から理系企業に就職しました。ゴリゴリのエンジニアですね・・・
上司の口癖は技術力だぁー!我々はエンジニーアだぁー!ってくらいのエンジニア感です。
本当に、おじいちゃんみたいな方から横文字の難しい単語がポンポン出てきます。笑
ただ、僕は業種的に、畑違い(大学でしたこととは別の業種)の人間でした。
今までは、化学をしていたのにガッツリ材料力学などの物理系の知識が必須であり、モノづくりとは無縁の学部出身からすれば、好奇な目にさらされておりました。
もちろん、研修時のテストもボロボロです。
初テストで0点を取ったときに、晒されたのはいい思い出です。
あまり、人の目が気にならない僕ですが、ここで久々に怖さを感じました。
プライドの問題でしょうね。バカにされてると感じてしまう、人の目が気になるシンドロームです。
嘲笑の対象として言うのであれば、【自意識過剰】でしょうか?
ただ、本当に当時はきつかったのです。
時は過ぎて研修では、一通りの科目を終えて最終は上位に上り詰めることができました。
トップ10位くらいですね。下位じゃなければ自尊心を保てるので単純なもんです。
これもひとえに【向上心の無い者はバカだ】という夏目漱石先生の教えを少しだけ守ってきた賜物と言えるでしょう。
さて、ハッピーエンド風に書きましたが、社会には、無駄に嫌味ばかり言いう者や人を蹴落としてでも上に這い上がろうとするハングリーな人。イジメが好きな人。理不尽な人。多種多様です。
肌の色も中身も人種も同じなのにこんなに違うから気持ちが悪いです。
自殺という逃げ道?
ここで話は変わりますが、僕は昔、自殺のニュースを見ると



死ぬことなかったんじゃないの?



なんで自殺なの?
と他人事でした。
しかし、今では、それしか残ってなかったんだろうな。と悲しい気持ちや胸が痛い気持ちが僕を駆り立てるのです。
それは、東京大学を卒業した大手電通の社員である【高橋まつり】さんの過労自殺が気持ちに大きく残っているからと思います。
そんな当時の僕には、彼女の過労自殺のニュースは衝撃的でした。
逃げることもできなかったのでしょう。彼女のまじめさが追い込んでいたのかもしれない。
でも、僕もこうなってたかもしれないと。今でもたまに彼女事を思い出しています。そこからいつも、
辛いときやキツイ時に僕が考えていることは自分という存在は毎日違うということです。
今日がしんどいなら僕はいつも寝る前に、明日の自分にバトンを渡して眠りにつきます。
明日の自分へ「明日は頼んだわ」この一言でかなり救われていますね。
元来、他人に頼るのが苦手な僕ですが、自分は別物です。
明日の自分は、他人のようでただの自分。だから、無責任に頼れる。ある種の催眠ですね。笑
【それでも無理なら逃げ出していいや】そう僕はもう決めました。MYルールです。
アドラー心理学を人生に取り入れること



仕事の話や自殺の話で申し訳ないので、少しだけ話を変えますね
例えば、人間関係に話を変えます。
殺人の動機は、金・人間関係・恋愛といわれるほど、人を狂わすのは人の心なんです。
しかし、例えば人に好かれようと好かれる行動を取ったりするのは、ばかばかしいですよって言っときます。
それは、「課題の分離」という、かの有名なアルフレッドアドラー氏のアドラー心理学に基いているのです。課題の分離というのは、自分の課題と他人の課題を分けるというものです。
簡単に言うと、自分の決めたことに対して他人の意見は関係ないってことです。
よく書籍では、みんなに好かれよう!とか書いてますが、それは違います。
なぜなら、自分が人を好きになる事は自分自身の課題なのでコントロールできます。
しかし、人の気持ちってコントロールできますか?無理でしょう。
これは、自分の課題ではないからです。自分が人を好きになるのは自由ですが、好きになってもらうのは難しい。ヒトを好きになるのは自由ですが、好かれることは不自由なんです。
例えば、SHOWROOMの社長である前田裕二さんは、自身の書籍で「会う人全員を好きになる努力をした」と残しています。ちなみに、この本はかなりオススメです。
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そして、友人や同僚、仲間達は競争相手ではないと理解しましょう。他人が宝くじに当たった!仕事で大成功した!これを聞いて、悔しい。やクソぉー。と思う人は勘違いしています。自分が相手よりも劣っているわけじゃないんです。それは、その人を競争相手と考えて、いつの間にか比べています。
健全な劣等感とは他人との比較ではなく、理想の自分との比較から生まれるもの。比べるのは他人ではなく常に自分です。他人に勝つのではなく、高く持った自身の理想に近づくためのものです。周りは競争相手ではなく、本来は仲間のはずなんです。ここで、文頭にいった向上心の無い物はバカだ。という言葉をなぜ僕自身が好いているのか分かってくれると思います。
幸福感とは、他者への貢献から生まれます。優しい社会になってほしいものです。
最後に
自分が自分のために生きないなら、だれが自分のために生きてくれるのか。
辛いときは逃げてもいい。死を選ぶなら逃げてもいい。
決して、辛い現状や苦しい人生に悲観せずに頑張っていきましょう。
いいこともありますよ。
明日の自分にバトンタッチして頑張っていこう。